日本を紳士の国に変える 第二十九幕

 蝉がうるさい。

 小便をしたくなったから、今日初めてベッドから離れた。クラリとする。起きてから既に3時間は経っている。ずっとスマホを触っていた。

 

 僕の同級生たちは皆んな立派に働いている。今日みたいに暑い日も、馬鹿みたいに寒い日も。汗水垂らして毎日働いている。

 

 そう、私はニートだ。ニートだから会社にも所属していないし、アルバイトもしていない、始める気もさらさらない。なぜ働かないのかと聞かれれば分からない。ただ過ぎていく毎日をぼんやりと眺めている。

 

 父親は僕が高校生の時に他界した。末期癌だった。母親はとても悲しんだ。僕も悲しかった。母親のことをお前が守らないといけないと、しつこく親戚にも言われたし、僕もそのつもりだった。でも、今の現状はその正反対。天国の父親は僕の事を怒りたくて仕方ないだろうと思う。怒られて当然だろうとも思う。

 

 仕事を始めようと思った時期があって、ハローワークにも行ったし、就職アプリもいくつも入れた。受けても受けても結果は不採用。繰り返すうちに、なんだか悲しくなって、母親にどうだった?と聞かれるのが苦しくて途中でやめた。社会不適合者とはまさに僕のことだろう。

 

 トイレから戻った僕はリビングのテーブルに置いてある、おにぎりを手に取ってむさぼる。冷蔵庫から冷えたお茶を出して、グビグビと飲む。この瞬間も僕には権利がない。25歳で無職。

母親が仕事に行く前に握ったおにぎりをむさぼり、母親が買ってきたお茶をグビグビと飲む。トイレだって、電気だって、スマホだって、、、。本当に人生が嫌になる。諦めたい。でもリタイアする勇気なんてないんだ。僕はどこをとっても中途半端だった。

 

 リビングから母親の呼ぶ声が響いた。ベッドで動画を見ながらウトウトしていた時だったから少しムッとした。そんな権利なんかないのに。階段を降りリビングに入ると、母親がエコバックを僕に突き出して、牛乳、にんじん、玉ねぎ。と名詞だけを口にした。エコバックに財布が入っていたから買い出しに行ってこい。このクソニートということだろう。

 

 玄関を出ると一気に毛穴が開いた。今年は特に暑い。去年の今頃はちょうど就活で心をズタズタにされたいる頃だった。暑さであの時のことを思い出すのは結構キツイ。スーパーまでの道のりをそんなことを考えながら歩いた。疲れと言う言葉を知らない小学生が公園で鬼ごっこをして遊んでいる。僕も小学生の頃はプロ野球選手になってお金持ちになるんだって本気で思っていた。今の現実とのギャップにまた心が痛んだ。

 

 

 冷房の入った店内に入ると生き返ったような感じがした。買い物カゴを手に取って店内を歩く。牛乳をカゴに入れる。少し冷気に当たって涼む。次はにんじんだな。目の前に足の不自由そうな老人が歩いている。

僕はぶつからないように避けた。すると、通りすぎると同時に老人が倒れた。僕はとっさに老人に駆け寄った。顔から倒れた老人は頬ぼねのところが赤く腫れていた。老人に肩を貸し、起こした。

その間老人はありがとう、ありがとうと何度も僕に礼を伝えた。僕は買い物リストにブロック氷を追加して、老人を店の外にあるベンチに座らせて氷を渡した。老人はこの時も「ありがとう」と言っていた。

 

 老人と別れ家に帰っていると、後ろから男性の声で「すみません」と聞こえたから、振り返ると真っ黒な光沢のあるスーツに身を包んだ大柄な男性がそこに立っていた。「なんでしょう」僕は少し怯えながら尋ねた。

すると大柄な男はスーツの内側に手を突っ込み銀色のケースを取り出した。そこから出てきたのは、これまた真っ黒の名刺だった。

黒々とした名刺に金色の文字で「ARMOR」と書かれていた。

それを僕に渡すと、「先ほどは会長の手当てをして頂いて、誠にありがとうございました。」と深々と頭を下げた。僕はあからさまに動揺し、何も言えずに手を顔の前でブンブンと振っていた。

思い当たる節があったから、すぐにさっきのことだと理解はできた。