日本を紳士の国に変える 第三十四幕
気付けば僕は、会長にスーツの感想を一方的に話していた。
会長は和かな表情に戻り、何だか嬉しそうに頷いていた。
「スーツは紳士の鎧だよ。紳士には鎧が必要なんだ。」
僕は会長の言葉の意味は理解できなかったが、とても嬉しかった。
披露しようかと会長がいい、
石の様に磨かれた廊下を会長の後ろから、ゆっくり歩いた。
広い部屋に出ると、カウンターに加賀谷と佐久間がいた。
僕の姿を確認した二人は、何も口にせず拍手をした。
僕は不思議と恥ずかしくなかった。
頭を少しだけ下げながら拍手を受けた。
それから4人で他愛もない話をした。
会話の中で僕に質問が来ることもあったが、
しっかりと受け応えることができた。
スーツを着ると、どこからか自信が湧いてくるのだ。
ARMORにお客さんが入ってきたタイミングで解散となった。
今日着てきた服を黒の袋に加賀谷が入れてくれた。
革靴まで自分のサイズに合ったものを取りなさいと
会長がプレゼントしてくれた。
お店を出て行き交う車、働くサラリーマンの前に出ると
いつもなら劣等感に支配されるが、今日は違った。
「充君は駅に行くの?」佐久間が聞いた。
一緒に歩いて駅まで帰ることになった。
何も語らず、ただ歩いていると佐久間が徐に語り始めた。
「僕も君と同じだったんだ。僕は引きこもりだった。会社も早々に辞めて、ずっと両親のスネをかじってた。」
「社会に出るのが怖かった。何もできないって怯えていた。部屋に一人でいる方が、心が安定してたんだよな。」
僕は心底意外だった。
佐久間にそんな過去があったなんて信じられなかった。
どこかの会社の社長か幹部クラスだと思っていた。
佐久間が続けた。
「そんな生活を5年くらい続けてたら、親が二人とも交通事故で死んだんだ。」佐久間は歩きながら、遠くを見るような目をした。
「俺が長く引きこもってたから、そんな奴を社会復帰させる施設を訪ねてたらしい。その帰りだったって、葬式が終わって母親の妹から聞いた。」
佐久間の目には夕陽に照らされた、綺麗な滴が一杯に留められていた。
「そんなドン底の時に、会長と出会ったんだよ。」
充君と同じようにスーツを作ってもらってね。と肩を叩いた。
「君は今鎧を着ている。ここがスタートだよ。」ともう一度肩を叩いた。
僕が家に帰ると、母親が野菜炒めを作っていた。
僕の姿を見て一瞬驚いた表情を見せたが、親指を立てて
「似合ってるよ。」と微笑んだ。
僕は夕飯の支度を手伝った。久しぶりに母親と台所に立った。
その夜スマホでタウ○ワークのアプリをダウンロードした。
僕の部屋の壁には光沢のある黒のスーツが飾ってある。