日本を紳士の国に変える 第三十二幕
お店の中に足を踏み入れた僕はようやく顔を上げた。
僕はまた言葉を失った。
まるで石でできた様ににピカピカに磨かれた床。
そして床には何一つとして、物が置かれていなかった。
お店の奥にカウンターがあって、
その後ろの棚には本の様なものが沢山積まれていた。
僕の後ろから、加賀谷が口を開いた。
「最近の言葉で言うと、ミニマリストなんですよ。会長。」
お店には極力、物は置かないんです。と説明してくれた。
僕は「はぁ、はぁ」と返事にもならない声を出しながら聞いていた。
それでは早速!!と加賀谷が声を張った。
僕はビクッとして、加賀谷を見た。
僕があまりに呆けた顔をしていたのだろう、
「あれ、、会長に聞いていませんか?」
僕は軽く頷くと、加賀谷が悪戯を企む小学生のような顔で、
作りますよ!!スーツを!!と言った。
巨大な三面鏡の前に立たされて、
間抜けな顔をした自分と睨めっこをしていた。
後ろのカーテンがふわりと揺れ、会長が入ってきた。
「鏡を見ることは、大切だよ。」会長がにこやかに言った。
この時も僕は気の利いた言葉を返すことができなかった。
加賀谷が入ってくるのと、入れ替わって会長が出て行った。
「さぁ作りますよ! 」
加賀谷の首には紐の様なメジャーがぶら下がっていた。
手首にはマチ針の刺さった針山が巻かれていた。
僕は加賀谷の言われるままに、体勢を変えていった。
採寸をしている時の加賀谷は真っ直ぐな目をしている。
淡々と採寸を進める、加賀谷に僕は見惚れていた。
大きな体で紐の様なメジャーを使いこなし
体のあらゆる部分のサイズを細かに測っていた。
じゃあこれを着てみようか!加賀谷が真っ黒のジャケットを手渡してきた。
「ゲージ服って言うんですけど、これからもっと、、、。」
ん???
「すみません、お名前まだでしたね。」加賀谷はあちゃーといったような仕草をして見せた。
「僕、榊 充っていいます。」
ミツルさん〜かっこいい名前ですねと嫌味のない笑顔で言った。
加賀谷の年齢は僕より二つ下だった。
僕は劣等感というより、むしろ憧れを強く抱いた。
ゲージ服を着てから、加賀谷は僕に質問を多く投げかけた。
絞りたいか、このくらい丈があった方がいいか。
とにかく真剣に額に汗をしながら、スーツを作っていた。
「採寸はこれで終わりです。カウンターに移動しましょう!」
僕は加賀谷に続いて石のように磨かれた廊下を歩いた。
カウンターには僕の他に、もう一人三十代くらいの男性がいた。
男性は僕が席につくのを待っていたかのように、
「君も今日はスーツを作りに来たの?」
僕は人に話しかけられるのが苦手みたいだ。