日本を紳士の国に変える 第159幕

今日は人間的な話をしたいと思う。

 

先日車を運転している時、ふと思ったことがある。

 

人が亡くなったことに対する涙の裏にある感情は何なのか。

 

そりゃ当然、人が亡くなれば悲しいものだよ。

 

悲しいから涙が出るんだ。との答えが多いと思う。

 

しかし考えてみて欲しい。

 

テレビから流れてくるニュースで殺人事件や災害によって命を落とした人の報道があっていたとして、果たして貴方の二つの目からは無色透明な涙が流れてくるだろうか。

 

人が亡くなる=悲しくて涙が出る。という方程式だと、涙が自然と溢れてこなきゃおかしい。しかしほとんどの人は「ひどい話もあるもんだ。」と他人事だと思う。

 

この事から分かることは、”人の死=悲しくて涙が出る”この方程式は成り立たないという事だ。

 

人の死、自体は何ともないのが人間だと思う。

 

とても冷徹に聞こえるだろうが、それが答えだと思う。

 

自分の隣の家のおじいさんが亡くなって涙を流し、もう一度会いたいと心から願うだろうか。死を受け入れられず数日思い悩むだろうか。

 

そろそろ私なりの答えを書こうと思う。

 

最初の文に書いた様に人間はあまりに人間的なのだ。

 

想像の及ぶ範囲。ここが境界線である。

 

ブラジルのおじいさんが亡くなる。その息子が悲しみの涙を流す。孫も同様に。日本に住んでいるほぼ100%の人はその事実を知らない。もちろん悲しいという感情も働かないだろう。しかしそれがテレビに取り上げられ、家族のすすり泣く映像。息子が棺に抱きつく映像が目の前に現れた時に感情が働き、涙という透明の液体を流す。

 

と、出勤中の車の中で考えた。

 

想像ができて、自分に当てはめてみて悲しくなるのだ。と。

 

だからと言って別に何か言いたいわけではない。

 

長々と失礼した。